
発酵食品はなぜ世界中で独立に生まれたのか
——味噌・ヨーグルト・チーズに共通する保存技術の歴史
ヨーグルト・味噌・チーズ・キムチ・テパチェ。
互いに交流のなかった文明が、なぜ同じ「微生物を飼いならす」技術に辿り着いたのか。
Section 01「偶然の産物」という誤解——発酵は発明されたのではなく、発見され続けた
発酵食品を語るとき、私たちはしばしば「先人の知恵」という曖昧な言葉でその起源を済ませてしまう。しかし、世界の文明が地理的・文化的に孤立していた時代から、それぞれ独自に発酵食品を持つに至ったという事実は、「知恵」という説明では到底足りない。それは偶然の反復ではなく、人類という種が直面した普遍的な生存圧力に対する、繰り返し見出されやすかった応答だったのである。
現在、世界には5,000種類を超える発酵食品・発酵飲料が存在するとされる。東アジアの味噌・醤油・紹興酒・納豆、中東・中央アジアのヨーグルト・ケフィア・アイラン、ヨーロッパのチーズ・ワイン・ビール・ザワークラウト、アフリカのインジェラ・テジ、中南米のチチャ・テパチェ・プルケ——これらは個別の料理として記述されることが多いが、本稿が問うのは「なぜこれほど多くの文化が、微生物という不可視の存在を食品加工のパートナーとして選んだのか」という、より深い構造的問いである。
この問いに答えるには、発酵を単なる「保存技術」として捉える視点を超えなければならない。発酵は確かに食品保存に寄与するが、それだけではない。栄養強化、毒素の無毒化、風味の創出、さらには宗教的・社会的な意味の付与——発酵はこれらの機能を同時に担う、複合的な文化技術なのである。そして、この多機能性こそが、独立した複数の文明において発酵が「発見」されやすかった理由を説明する鍵となる。
腐敗と発酵の境界を人類が繰り返し渡りながら、
少しずつ「飼いならされた腐敗」を選び取ってきたのだ。
Section 02発酵食品が生まれた理由①——冷蔵庫以前の保存問題という生死に関わる命題
このセクションでは、発酵技術が誕生した歴史的・生態的な前提条件を整理する。読み終わると、「なぜよりによって微生物なのか」という問いに対して、食料保存という観点から骨格を掴めるようになる。
発酵の歴史を正しく理解するには、まず「冷蔵技術が存在しない世界」という前提に立ち戻る必要がある。現代人は食品の腐敗を不快な出来事として経験するが、農業社会以前の人類にとって、食料の腐敗は飢餓と直結する実存的脅威であった。
農耕革命(紀元前10,000〜8,000年頃)以降、人類は定住化とともに大量の食料を一時的に確保し、それを長期間保存するという新たな課題を抱えることになった。狩猟採集時代においては、食料は基本的に獲得したその場で消費された。しかし定住農耕社会では、収穫の季節性・天候の不規則性・戦争や疫病による食料供給の断絶に備え、備蓄の技術が社会的存続の鍵を握るようになる。
この文脈において、人類は乾燥・塩漬け・燻製・発酵という四つの基本的保存戦略を独立して、あるいは組み合わせて開発した。そのうち発酵が特異な位置を占めるのは、他の三手法が「微生物の活動を抑制する」ことで保存を達成するのに対し、発酵だけが「特定の微生物の活動を積極的に利用する」という逆転の発想に基づくからだ。
発酵の化学的本質——腐敗との紙一重の差異
乱暴に言えば、発酵は「人間にとって都合のよい微生物変化」、腐敗は「人間にとって都合の悪い微生物変化」である。生化学的に見れば、どちらも微生物が有機物を分解するプロセスという意味では同じ出発点を持つ。両者を分けるのは、関与する微生物の種類と、それによって生成される物質の性質だ。
発酵においては、乳酸菌・酵母・麹菌(アスペルギルス属)・酢酸菌などが優位を占め、乳酸・エタノール・酢酸・炭酸ガスなどを生成する。これらの生成物は食品のpHを下げ(酸性化)、または抗菌性物質として機能し、有害な腐敗菌の増殖を抑制する。重要なのは、この「有益な微生物が有害な微生物を駆逐する」メカニズムが、特定の条件下では自然発生的に起きるという点だ。塩を加えた野菜(後のザワークラウトやキムチの原型)では、塩分耐性を持つ乳酸菌が自然に優位となり、結果的に保存に適した酸性環境が生まれる。人類はこのプロセスを「発見」し、それを意図的に再現・制御することを学んだのである。
収束進化(convergent evolution)とは、系統的に無関係な生物が、類似した環境圧力に応じて類似した形質を独立して進化させる現象を指す。有名な例として、サメ(魚類)・イルカ(哺乳類)・魚竜(爬虫類)がいずれも流線型の体型を持つことが挙げられる。
文化的収束進化の概念はより論争的だが(生物進化と文化史は厳密には同じではない)、発酵技術のように「普遍的な環境圧力(食料保存の必要性)+利用可能な自然現象(微生物の活動)+類似の認知・試行プロセス」が重なる場合、独立した文化における類似技術の発生を記述する枠組みとして有効に機能する。
考古学的証拠——発酵の起源はどこまで遡れるか
発酵食品の起源を考古学的に特定することは、有機物の残存が困難なこともあり、一般に難しい。しかし近年の分析技術の向上により、いくつかの注目すべき証拠が明らかになっている。
アルコール発酵については、2018年に発表されたイスラエル北部のラケフェット洞窟(Raqefet Cave)の研究が特筆に値する。約13,000年前のナトゥーフ文化期の遺跡から、ビール醸造に使用されたと推定される石製の臼が発見された(Liu et al., 2018)。これはパンの発明より古い可能性があり、アルコール飲料が農耕定住化の動機の一つだったという仮説を支持する証拠として注目を集めた。
乳製品発酵については、ポーランドの新石器時代遺跡(紀元前5,500年頃)から、乳脂肪の痕跡を含む穿孔土器が発見されており、チーズ製造に使われたとする研究がある(Salque et al., 2013)。これは乳糖不耐症(乳に含まれる乳糖を消化する酵素が少ない体質)が一般的だった農耕開始期において、乳の乳糖をあらかじめ分解してしまう発酵が、牛などの家畜から得られる栄養を人間が摂取可能な形に変換する手段として機能したことを示唆する。
日本においては、醤(ひしお)の前身となる発酵調味料の存在は弥生〜古墳時代まで遡るとされ、木簡の記録では奈良時代(8世紀)に「未醤(みしょう)」の名が確認できる。
Section 03発酵食品が世界各地で独立に生まれた4つの理由——保存・栄養・毒素・気候
このセクションが本稿の核心である。発酵食品の収束的成立を説明する4つのメカニズムを順に解説する。読み終わると、「なぜ各地で同じ技術が生まれたか」という問いに対して、複合的な答えが得られる。
発酵食品が世界各地で独立して発生した背景には、単なる「食料保存の必要性」を超えた、複数の収束的要因が存在する。ここでは四つの主要なメカニズムを検討する。
① 自然発生の偶然的観察——「失敗した保存」の再利用
発酵の多くは、意図せず起きた食品変質の「再解釈」から始まったと考えられる。夏の果汁がしばらく置いておくと発泡してアルコールになること、牛乳が放置されると酸っぱく固まること(チーズ・ヨーグルトの原型)、穀物粥に水を加えて放置すると泡立つこと——これらは自然環境の中で繰り返し起きる現象であり、人類が農耕・牧畜・採集を行う中で各地で独立して「観察」された。
重要なのは、こうした「変質した食品」が毒ではなく食べられること、時に通常の食品より旨いことを人類が発見した過程だ。淘汰の観点からは、発酵を毒として拒絶した集団より、試食して生き延びた集団が知識を蓄積する。つまり発酵の発見は、試行錯誤と生存選択の産物でもある。この発見は一度きりではなく、地域ごとに繰り返されたはずである。
② 栄養強化という副次的発見
発酵は単に食品を保存するだけでなく、栄養価を高めるという効果を持つ。この事実が、発酵技術の各地での定着に寄与したと考えられる。
大豆はその代表例である。生の大豆には、タンパク質消化を妨げるトリプシンインヒビターや、ミネラル吸収を阻害するフィチン酸が含まれる。加熱調理によってこれらは部分的に不活性化できるが、発酵(味噌・醤油・テンペ・納豆など)によって、より効果的に除去できる上、タンパク質がペプチドやアミノ酸に分解されて消化吸収性が向上する。東アジアで大豆食が広まった背景には、こうした発酵による「食べやすさの向上」が重要な役割を果たした可能性が高い。
③ 毒素除去という生存圧力
発酵が独立発生した第三の要因は、一部の食材に含まれる天然毒素の除去という、より切迫した生存上の必要性だ。南米のキャッサバ(マニオク)はその典型である。キャッサバには青酸配糖体(リナマリン)が含まれており、適切な前処理なしに摂取すると青酸中毒を引き起こす。南米・アフリカの各地では、発酵・浸水・加熱の組み合わせによる毒素除去技術が独立して発展しており、その一部にはキャッサバ発酵食品(ガリ、フーフーなど)が含まれる。食の安全が「毒を知ること」と「毒を除くこと」の両方を要求する以上、発酵はこの除毒機能においても収束的に採用されやすかった技術だと言える。
④ 気候・生態系という地理的制約——「腐敗しやすい環境」が発酵技術を促した
高温多湿な気候帯では、食品は急速に腐敗する。このことが、発酵という「管理された微生物変化」の発展を後押しした側面がある。東アジア(特に日本・朝鮮半島・中国南部)、東南アジア、サブサハラアフリカ、中南米の熱帯低地など、高温多湿地域において発酵食品の多様性が特に高いのは偶然ではない。
逆説的に言えば、腐敗を防げない環境が、腐敗を制御する技術の発展を促したのだ。ただし例外も多く(中欧のザワークラウト、中東のヨーグルト・ケフィアなど)、この仮説は補助的要因として位置付けるべきである。
Section 04地域別比較——同じ原理、異なる文化的選択
ここでは収束進化の議論において重要な「何が同じで、何が異なるか」を地域別に整理する。表の後、東アジアの麹菌・中南米のチチャ・古代ローマと東南アジアの魚醤という三つの事例を掘り下げる。
発酵の基本原理(微生物による有機物の変換)は普遍的であるが、どの微生物を「飼いならし」、どの基質(発酵の材料になる原料)を選び、どのように社会的意味を付与するかは、文化によって大きく異なる。
| 地域・文化圏 | 代表的発酵食品 | 主要微生物 | 発酵基質(原料) | 主要機能 |
|---|---|---|---|---|
| 日本 | 味噌・醤油・日本酒・納豆・鰹節 ※ | 麹菌・乳酸菌・酵母 | 大豆・米・麦・魚 | 保存・うま味生成・宗教的意味 |
| 朝鮮半島 | キムチ・コチュジャン・テンジャン・マッコリ | 乳酸菌・酵母 | 野菜・大豆・米 | 保存・栄養・冬季食料確保 |
| 中国 | 豆豉・紹興酒・黒酢・腐乳 | 麹菌・酵母・乳酸菌 | 大豆・米・小麦 | 保存・調味・薬効 |
| 中東・中央アジア | ヨーグルト・ケフィア・アイラン・シュバット(Shubat) | 乳酸菌・酵母(ケフィア) | 牛乳・山羊乳・ラクダ乳 | 乳の長期保存・乳糖不耐症対応 |
| ヨーロッパ | チーズ・ワイン・ビール・ザワークラウト・サラミ | 乳酸菌・酵母・カビ(ペニシリウム等) | 乳・ぶどう・穀物・野菜・肉 | 保存・嗜好品・貿易商品 |
| 東アフリカ | インジェラ・テジ・ウジ | 乳酸菌・酵母 | テフ・大麦・蜂蜜・トウモロコシ/雑穀 | 保存・消化改善・儀礼飲料 |
| 中南米 | チチャ・テパチェ・プルケ・カシーリ | 乳酸菌・酵母 | トウモロコシ・アガベ・キャッサバ | 儀礼飲料・栄養補給・社会的結束 |
| 東南アジア | ナンプラー・バラチャン・テンペ・タプアイ | 乳酸菌・麹菌・酵母 | 魚・大豆・米 | 調味料・保存・うま味 |
東アジアの特殊性——麹菌という独自の発酵エンジン
世界の発酵技術の中でも、東アジア(特に日本・中国・韓国)は麹菌(主にAspergillus oryzaeおよびA. sojae)を意図的に培養・利用するという点で際立った独自性を示す。乳酸菌や酵母が自然環境中に広く分布し、比較的容易に自然発酵を引き起こすのに対し、麹菌の意図的培養と応用は、より高度な技術的洗練を要する。
麹菌は強力なアミラーゼ(デンプン分解酵素)とプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)を分泌し、穀物・大豆のデンプンとタンパク質を糖とアミノ酸に変換する。この「糖化・分解」の段階があることで、後続の酵母による酒精発酵や乳酸菌による乳酸発酵がより効率的に行われ、うま味(グルタミン酸)の大量生成も可能となる。日本の味噌・醤油・日本酒がもつ独特の深みは、この麹菌を起点とする多段階発酵に由来する。
ゲノム解析によれば、現在の食用麹菌(A. oryzae)は、A. flavus系統に近縁な祖先集団から人為選択の影響を受けて成立した飼化菌(野生の生物を人間利用向けに変えていったもの)とみなされることが多い(Machida et al., 2008)。イネや小麦のような作物の家畜化と並行して進行した「微生物の家畜化」の事例として位置付けることができる。
中南米のチチャ——唾液による糖化という極北
収束進化の議論において特に興味深いのが、アンデス地域のチチャ(chicha)である。チチャの最も古い製法の一つは、乾燥させたトウモロコシを口中で咀嚼し、唾液中のアミラーゼでデンプンを糖化した後、吐き出した液体を容器で発酵させるというものだ。
この製法は衛生的観点から現代人には奇異に映るが、麹菌が食用として利用されなかった中南米において、デンプンを発酵可能な糖に変換する手段として、人体の消化酵素を利用するという解決策が採用されたという点で示唆に富む。日本酒(麹菌のアミラーゼ)・ビール(麦芽のアミラーゼ)・チチャ(唾液のアミラーゼ)は、「デンプンを糖に変える」という同一の問題に対する、三つの異なる文化的解答だと言える。
魚醤——東南アジアと古代ヨーロッパの収束
東南アジアのナンプラー(タイ)・ヌックマム(ベトナム)・パティス(フィリピン)と、古代ローマのガルム(garum)は、少なくとも直接の系譜関係を前提としなくても説明できるほど、よく似た製法——魚に塩を加えて長期間発酵させ、滲み出た液体を調味料とする——によって製造される。ガルムは紀元前3世紀から紀元後5世紀にかけてローマ帝国で広く用いられ、アンフォラと呼ばれる容器でヨーロッパ全域に輸出されたことが考古学的に確認されている。
この収束が起きやすかった理由は、物理化学的なプロセスにある。塩漬けにした魚は自己消化(内臓の酵素による分解)と微生物発酵の両方によって液化し、高い塩分濃度が有害菌の増殖を抑えつつうま味成分(イノシン酸・グルタミン酸)が溶け出す。塩と魚という食材の組み合わせが自然環境に存在し、かつ高温環境に置かれれば、魚醤は繰り返し発見されやすい条件が揃っていると言える。
Section 05産業化と均質化——伝統発酵の「絶滅危惧」と現代的再評価
このセクションでは、20世紀以降の工業化が発酵文化に何をもたらしたかを論じる。生産量の拡大と多様性の消失という逆説、プロバイオティクスブームの実態と限界を整理する。
20世紀以降、食品産業の工業化は発酵技術に根本的な変容をもたらした。この変容は二つの逆説的な現象を同時に生み出している。一方では、発酵食品の生産量と消費量は歴史上かつてないほど拡大した。他方で、地域固有の微生物生態系に基づいた「場所の発酵」は急速に失われつつある。
スターター文化の標準化——多様性の消失
伝統的な発酵食品は、その地域の環境に存在する微生物群集の独自性によって、固有の風味を持っていた。ブルゴーニュのチーズとノルマンディーのチーズが異なる風味を持つのは、使用する牛乳の違いだけでなく、その土地の空気中・建物の壁面に棲む微生物叢の違いを反映している。これはワインのテロワール(「土地の個性」を意味するフランス語)概念の微生物版と言える。
しかし工業的食品生産では、安定した品質と安全性を確保するために、特定のスターター(発酵を安定して始めるための種菌)が純粋培養(狙った菌だけを増やした培養)の形で使用される。世界中のヨーグルトが同じLactobacillus delbrueckii subsp. bulgaricusとStreptococcus thermophilusの組み合わせで作られるように、食品安全規制と生産効率の要請が、微生物の多様性を「安全・標準・管理可能な数種類」へと絞り込む方向に働いた。
この均質化の帰結は、食品の個性の消失にとどまらない。独自の微生物生態系を持つ伝統的発酵法が失われると、それに伴う微生物の多様性自体が消失する。食品微生物学者の一部は、これを生物多様性喪失の一形態として警告しており、「発酵遺産(fermentation heritage)」の保全という新しい課題が浮上している。
プロバイオティクス産業の台頭——科学言語による発酵の再解釈
1990年代以降、腸内細菌叢(マイクロバイオーム)研究の進展とともに、発酵食品は「プロバイオティクス(probiotics)」という科学的言語で再評価されるようになった。これは発酵食品の文化的・保存的意味を超えた、健康機能食品としての再定義である。
しかしここで注意すべきは、伝統的発酵食品に含まれる微生物が「プロバイオティクス」として機能するかどうかは、科学的に確証されていない場合が多いという点だ。プロバイオティクスの定義(「適切な量を摂取した際に宿主に健康上の利益をもたらす生きた微生物」——FAO/WHO, 2001)を厳密に適用すれば、特定の菌株・用量・条件が必要であり、一般的な発酵食品の摂取がそれを満たすかは別問題だ。
発酵食品の健康効果を無条件に肯定することも、否定することも、科学的には不正確である。現時点では、発酵食品の摂取が腸内細菌叢の多様性向上と免疫指標の変化に関連する可能性が示唆されているが(Wastyk et al., 2021)、その効果の大きさ・持続性・個人差は大きく、万人に同じ効果を期待できるわけではない、という慎重な表現が妥当だろう。
「自然発酵ブーム」の文化的文脈
2010年代以降、西洋を中心に自家製発酵(home fermentation)・職人的発酵(artisanal fermentation)への関心が高まっている。Sandor Katz の著書『The Art of Fermentation』(2012)が世界的なベストセラーとなり、コンブチャ・ケフィア・クラフトビール・天然酵母パン(サワードウ)などが都市部の知識層に浸透した。
この現象は単なる食のトレンドを超えた文化的文脈を持つ。工業化された食品システムへの批判、ローカルフード運動、DIY文化、健康への関心——これらが交差する地点で、発酵は「近代以前の知恵の復活」という象徴的意味を帯びた。しかしこの「復活」もまた、伝統的発酵文化そのものではなく、都市的消費文化によるその再解釈であることは、批判的に認識しておく必要がある。
Section 06発酵の文化的意義——不可視の共同作業者としての微生物
技術史や食文化史として発酵を論じるとき、見落とされがちな「なぜ人類は発酵に保存技術を超えた意味を付与したのか」という問いを論じる。
発酵の「時間性」——人間の制御を超えたプロセス
発酵は本質的に時間のかかるプロセスであり、その間、人間は微生物の働きを「管理」できても「支配」することはできない。最高の麹師でも、最後の判断は麹に委ねられる。ウイスキー蒸留所の職人も、熟成樽の中で起きる変化を完全には予測できない。この「委ねること」の必要性が、発酵に文化的・精神的な深みを与えてきたと考えられる。
日本酒醸造における「菌に話しかける」「杜氏の勘」「蔵の空気」といった語られ方は、この文脈で理解できる。科学的には、蔵内の温湿度・雑菌環境・職人の手に棲む微生物が発酵に影響を与えることは確かであり、「経験知」は単なる迷信ではない。しかし同時に、人間の知覚・言語・制御を超えた部分が存在するという認識が、発酵を「生きているもの」として扱う文化的態度を生んだ。
発酵と宗教・儀礼の接続
世界の多くの文化において、発酵食品・発酵飲料は宗教的儀礼と密接に結びついている。キリスト教のミサにおけるワイン(キリストの血の象徴)、インカの太陽祭(インティ・ライミ)におけるチチャの供物、神道の御神酒——これらは発酵という変容プロセスが「死から生への転換」「人間の手を超えた力」「神との媒介」として宗教的象徴に組み込まれた事例だ。
なお、ヒンドゥー教・ゾロアスター教の儀礼的飲料ソーマ/ハオマについては、その実体や製法に未解決の論争が多く、発酵飲料とみなす説もあるが、学術的合意は存在しない。植物説・非発酵説・発酵関与説など諸説が並立しており、確定的な記述は慎むべきテーマである。
人類学者マリー・ダグラスは、食のタブーと許容が「穢れと清潔」という象徴的分類に基づくと論じた(Douglas, 1966)。発酵は「腐りかけたもの」でありながら「食べられるもの」という境界的な性質を持ち、その文化的地位は両義的である。この両義性が、発酵食品を神聖視する文化(発酵は「神の働き」)と禁忌視する文化(発酵は「穢れ」)の両方を生み出してきた。
発酵は「文化のインデックス」である
発酵食品は、その地域の農業史・地理的条件・社会構造・宗教・交易網を圧縮して反映する「文化のインデックス」として機能する。日本の味噌は、稲作・大豆栽培・仏教の精進食・海洋国家としての塩の確保、これらが交差する歴史の産物だ。フランスのロックフォールチーズは、コース・デュ・ラルザック地方の羊牧畜・コンバルー洞窟の特殊な微生物環境・中世の交易路、これらなしには語れない。
このことは、発酵食品の「絶滅」が単なる食文化の損失ではなく、その食品が体現してきた歴史・生態・文化的記憶の消失であることを意味する。ユネスコが無形文化遺産として「和食(washoku)」(2013年)や「キムジャン——キムチ作りと分かち合いの文化」(2013年)を登録したことは、こうした文脈において理解できる。ただし制度的保護が実質的な文化の維持につながるかどうかは、別の問いである。
人間と微生物が数千年をかけて築いてきた
共同作業の記念碑である。
まとめ収束の意味——普遍性と固有性の間で
発酵食品が世界各地で繰り返し発見されやすかった背景には、食品保存という普遍的課題・微生物の自然発生という観察可能な現象・栄養強化と毒素除去という付随的利得、これらが組み合わさった条件の積み重ねがある。この条件の重なりの中に、文化的収束進化の論理がある。
しかし同時に、どの微生物を飼いならし、何を発酵させ、いかなる文化的意味を付与するかは、各文明が独自に選択したものだ。麹菌の洗練・チチャの唾液糖化・ガルムと魚醤の収束・乳酸発酵の普遍性——これらは「同じ問いへの異なる答え」であり、人類の文化的創造性の表れでもある。
現代において発酵を論じるとき、私たちは少なくとも三つの視点を保持する必要がある。第一に、発酵技術の科学的理解——微生物学・生化学・ゲノミクスによって明らかにされつつある発酵の精密なメカニズム。第二に、発酵の文化史的理解——地域固有の発酵遺産がいかなる歴史的・生態的条件の中で形成されたか。そして第三に、発酵の現代的文脈——工業化・均質化・プロバイオティクスブームの中で、伝統的発酵文化が何を失い、何が新たに生まれつつあるか。
発酵食品を「美味しいもの」「体に良いもの」として消費することは、この三つの視点のうち最も薄い理解に留まる。発酵の真の複雑さは、それが人類史における最も長期にわたる「人間と微生物の共進化」の産物であり、私たちが日々食べているものが、数千年にわたる試行・観察・文化的蓄積の集積であるという認識の中にある。
参考文献
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