
――残虐な見世物が消えた歴史的・構造的理由
公開処刑・拷問見世物の盛衰から「感受性の文明化」を問い直す
なぜ今、「残虐な見世物」の歴史を読むのか
ローマのコロッセウムでは数万人の市民が剣闘士の死を歓声とともに見届け、中世ヨーロッパの広場では異端者の火刑が祭りのように催された。近世イングランドでは、タイバーン(Tyburn)の絞首台の周囲に屋台が出て、群衆は良い場所を取るために早朝から集まった。こうした光景は単なる「暗黒時代の野蛮」として片づけることができない。なぜなら、それを「娯楽」として享受したのは、私たちの直系の祖先であり、当時の社会は彼らなりの論理と秩序を持っていたからである。
問いを立て直そう。「残虐な見世物」は、どのような社会的・制度的・心理的条件のもとで「娯楽」として機能したのか。そして、それが「非文明的」と見なされるようになった転換は、何によって引き起こされたのか。この問いに答えるためには、少なくとも三つの理論的座標軸が必要となる。ノルベルト・エリアスの「文明化の過程」、ミシェル・フーコーの「監獄の誕生」、そしてリン・ハントの「人権の発明」である。
本稿は古代ローマから20世紀にかけての長い時間軸をたどりながら、「残虐な見世物の消滅」が単なる道徳的進歩ではなく、権力の形式変換・感受性の再編成・メディア環境の変化という複合的な構造転換であったことを論じる。そしてその終わりに、現代における「間接的残虐消費」という問題を提起する。
前提条件:「見せる刑罰」が機能した社会構造
公開処刑・拷問見世物が社会的に受容された時代を理解するには、まず現代とは根本的に異なる「国家権力の作動方式」を把握する必要がある。前近代社会において、権力は抽象的なものではなかった。それは身体に直接刻まれるものであった。
主権権力と身体刑の論理
フーコーが『監獄の誕生』(1975年)で示したように、前近代における刑罰の目的は「更生」ではなく「示威(力を見せて服従を促すこと)」であった。犯罪は個人の行為であると同時に、君主の身体への侵犯として解釈された。したがって刑罰とは、傷つけられた主権権力(王や国家が自らの力を可視的に示すタイプの権力)の修復を公衆の面前で行う儀式であった。公開処刑の現場において、王の代理人(処刑者)が犯罪者の身体を解体するプロセスは、それ自体が権力の可視的な証明であった。
刑罰の権力は、かつては見せる(spectacle)ことの中にあった。それは身体に直接触れ、身体の苦しみを通じて語るものであった。現代においてはそれが見えなくなった。だが権力が消えたのではなく、遍在するようになったのである。
— ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(田村俶訳、1977年、新潮社)
この論理において、処刑の「残酷さ」は欠陥ではなく設計要件であった。苦しみが大きく、それが多くの人に目撃されるほど、示威効果は高まる。車裂き・八つ裂き・火刑・車輪刑といった複合的身体刑は、恣意的な残虐ではなく、「主権の回復」という意味論的要請を充足するために設計されていた。
共同体的死の文化:「非公開」の逆説
もう一つの前提として、前近代社会における「死の公共性」を理解する必要がある。現代では死はほとんどの場合、病院・ホスピスという閉鎖的空間で処理される。死を直接目撃する機会は著しく制限されており、それゆえに死は「非日常」となっている。
前近代においては逆であった。乳幼児死亡率は非常に高く、疫病・戦争・飢饉が周期的に社会を席巻した。死は日常であり、共同体の前に開かれたものであった。フィリップ・アリエスの『死と歴史』(1977年)によれば、中世ヨーロッパにおける死は「飼いならされた死(tame death)」であり、死にゆく人は床の上でコミュニティ全体に囲まれながら最期を迎えた。つまり、現代人が感じる「死は見えないもの」という感覚それ自体が歴史的産物である。このような文化的背景のもとでは、公開処刑が「異常な見世物」である必然性はない。それは死という普遍的出来事の、一つの形式に過ぎなかった。
識字率・メディア・感情の共有圏
加えて、近代以前の情報環境の特質も重要である。識字率が低く、活字メディアが普及していない社会において、「見ること」は情報の主要な受容形式であった。国家は処刑の場を、法的秩序の教育装置として機能させた。処刑に立ち会うことは、成文法を読むことのできない民衆にとって、「社会規範の学習」の機会でもあった。これはシニカルな話ではなく、当時の情報伝達インフラの制約から導かれる構造的帰結である。
「残虐な見世物」の歴史的展開
以下に、処刑・拷問の「見世物化」の主要な歴史的局面を整理する。
紀元後5世紀
転換の因果構造:なぜ「見せる刑罰」は消えたのか
「道徳的進歩」という単純な物語を拒否するならば、転換を引き起こした複数の独立変数を特定する必要がある。以下に主要な因果メカニズムを整理する。
①エリアス的「文明化の過程」:恥と当惑の閾値の上昇
ノルベルト・エリアスは1939年の大著『文明化の過程』において、ヨーロッパ近世以降の行動規範の変容を精緻に追跡した。エリアスの核心的主張は、「宮廷社会」における礼節規範が、徐々に社会全体に浸透し、「恥と当惑の閾値」が次第に下がっていく(=より多くのことに対して恥や不快を感じるようになる)というものである。18世紀後半になると、処刑見物を楽しむ群衆そのものが「見苦しいもの」として報じられ始める。この変化は、ある層の人々が公開的残虐から文化的に距離を取ることを「洗練さの証明」として使い始めたことを示している。
エリアス的転換は18世紀後半から19世紀前半に顕著となる。パンフレットや新聞が処刑見物の群衆の「下品さ」を報じ始め、「教育ある人々」が処刑見物を自分たちのものとは別種の文化行動として距離化し始めた。感受性の再編が、階層分化の言語として機能したのである。
②フーコー的「権力の形式変換」:見せる刑罰から内面化する刑罰へ
フーコーの『監獄の誕生』は、公開処刑の廃止を「人道化」と解釈することへの根本的な疑問を提起した。フーコーによれば、刑罰の変容は残虐さの除去ではなく、権力の作動場所の移動である。
「見せる刑罰(身体刑)」から「見せない刑罰(監獄・矯正)」への移行は、権力が弱まったのではなく、より深く・広く・効率的に作動するようになったことを意味する。ジェレミー・ベンサムの「パノプティコン(一望監視施設:中央の見張り塔から全房室を監視できる建築設計)」は、この新しい権力様式の理念型である。常に見られている可能性がある収監者は、実際に見られていなくても自己規制を内面化する。権力は身体から魂へ、広場から制度へと移動した。
この視点から見ると、公開処刑の廃止は「進歩」ではなく「変換」である。刑罰は社会からなくなったのではなく、不可視化・日常化・内面化されたのだ。フーコーのこの主張は、転換の「道徳的進歩物語」に対する強力な反論として機能し続けている。
③啓蒙主義と感受性革命:ベッカリアと「共感の拡張」
思想史的転換点として見落とせないのが、チェーザレ・ベッカリア(Cesare Beccaria)の『犯罪と刑罰』(1764年)である。ベッカリアは拷問の廃止・刑罰の比例性・死刑制度への疑問を系統的に論じた。この書は啓蒙思想家に広く読まれ、フリードリヒ大王・エカチェリーナ2世・ヴォルテールに影響を与えた。
しかしここで重要なのは、ベッカリアの議論が単純な「人道主義」ではなかった点である。彼の中心的論拠は功利計算的・帰結重視の性格を持つものであった(ベンサム以後に体系化される「功利主義」とは完全に同一視できないが、刑罰を結果の善悪で評価する点において共通する)。拷問は信頼できない証拠しか生まない。死刑は終身刑より抑止効果が低い。これは感情論ではなく、刑事司法システムの効率性への批判であった。「非人道的だから廃止すべき」という感情的訴えと「非効率だから廃止すべき」という機能的批判が合流したとき、改革の機運が生まれた。
リン・ハントの『人権の発明』(2007年)は、別の角度からこの転換を照射する。ハントは、18世紀における書簡体小説(手紙のやりとり形式で書かれた小説。ルソーの『新エロイーズ』、リチャードソンの『パメラ』など)の普及が、他者の内面への感情移入(empathy)能力を大衆的に拡張したと論じた。フィクションを通じて「自分とは異なる他者の苦しみ」を想像する訓練が積まれたことで、拷問される人物の苦痛を「感じられる」感受性が社会的に形成されたというのである。
④国家の「刑罰独占」と群衆管理の問題
公開処刑の廃止には、もう一つの実践的動機があった。群衆のコントロール不能性である。タイバーンの処刑見物では、実際に処刑を目撃する群衆の中でスリ・暴動・性的放縦が横行した。処刑が「秩序の強化」を目的としているにもかかわらず、それが「無秩序の温床」となるという皮肉な逆機能が次第に明確になった。
加えて、囚人が処刑台で英雄的態度を示した場合、群衆の同情と連帯が刑罰の抑止効果を完全に無効化することがあった。19世紀のイギリスでは「ジャック・シェパード」のような義賊的人気囚人が処刑される際、群衆が処刑に歓声を送ることすら起きた。見せる刑罰は、見せることによって自らの権威を掘り崩すリスクを常に孕んでいた。
同時代の地域比較:「文明化」は普遍的プロセスだったのか
ヨーロッパ中心的な「残虐→文明化」という物語を相対化するために、同時代の他地域との比較が不可欠である。
| 地域・社会 | 公開刑罰の特徴 | 変容の契機 |
|---|---|---|
| オスマン帝国 | 胴体切断・串刺し(杭刑)が公開実施。市場広場での展示が慣行。18世紀まで継続。 | タンジマート改革(1839年〜)での西洋法制度導入により変容。内発的変化より外圧による変革の色彩が強い。 |
| 中国(明・清) | 凌遅(りょうち・千の傷処刑)が最高刑として制度化。公開の場で執行され、観衆が集まる見世物的性格を持っていた。 | 清朝末期の近代化圧力と、光緒年間の刑法改革(1905年)で廃止。こちらも外圧・国際的規範の影響が大。 |
| 日本(江戸) | 磔・獄門・火炙りが公開実施。鈴ヶ森・小塚原が処刑場として機能。見物を禁じる規定はなく、見物人が集まった。 | 明治維新後の刑制改革を経て、1882年の旧刑法施行により絞首刑へ一本化された近代的刑罰体系へ再編。西洋法受容という構造変化が主因。 |
| イギリス | タイバーンの公開絞首。処刑日は事実上の祝祭日。 | 1868年殺人法改正で廃止。エリアス的「感受性変容」+群衆統制の機能的問題が複合。 |
| フランス | 革命期のギロチン。1939年まで公開処刑が断続的に継続。 | 1939年に公開処刑を最終廃止。ヨーロッパ主要国中最後まで公開処刑を維持した国の一つ。 |
この比較が示す重要な点は、「感受性の文明化」が各地域で独立に・内発的に生じたのではなく、多くの場合において西洋近代法制度の「輸出」と連動していたということである。日本・中国・オスマン帝国における変容は、エリアス的な緩やかな感受性変化ではなく、主権喪失の危機や国際的地位への懸念を背景とした制度的変革であった。したがって「残虐な見世物の廃止=文明化=普遍的道徳進歩」という物語は、その実質において「西洋近代規範の世界的展開」と不可分に結びついている。
歴史解釈上の論点:「進歩」という語りへの複数の視角
公開処刑の廃止を「道徳的進歩」として記述することには、歴史学・社会学的に複数の重大な疑問が投げかけられている。
「トゥルークライム」現象の示すもの
現代における「トゥルークライム(実録犯罪)」コンテンツの持続的な人気は、解釈Dの現代的証拠として読める。トゥルークライムは主要ポッドキャスト配信プラットフォームで継続的な人気を持つジャンルとなっており、NetflixはNetflix制作のドキュメンタリー「Making a Murderer」(2015年)以降、連続犯罪者・連続殺人者を主題とした作品を量産している。
犯罪の詳細・被害者の苦痛・犯人の心理への没入的関与は、コロッセウムの観客の心理と本質的に異なるのだろうか。異なるとすれば何において異なるのか。この問いに答えることは容易ではない。一つの見解は、物理的現場での直接観察と、メディアを介した観察の間には「感情的距離」と「表象の媒介性」において決定的な差があるとするものである。もう一つの見解は、その違いは程度の問題に過ぎず、構造的欲求は同一だとするものである。
死刑存廃論と「感受性」の現在
日本は現在も死刑制度を維持している数少ない先進国の一つであり、G7ではアメリカと並ぶ保持国である。かつ執行は法務大臣の命令書によって数日前に当事者に告知される方式を取っており、これは「見えない死刑」の中でも特殊な形態である。欧州諸国から批判される一方、国内世論調査では死刑存続支持が一貫して8割前後を維持している。この乖離は、「感受性の文明化」が各国の歴史的文脈・法文化・国家統治との関係において、均一ではなく多様に展開していることを示している。
まとめ:「感受性の変容」を構造として読む
拷問と処刑が「娯楽」として機能した時代は、残虐であることを好んだ人々の時代ではなかった。それは、「主権権力の可視的示威」という制度的論理・「死の日常性と共同体的公開性」という文化的文脈・「識字率の低さとメディアの不在」という情報環境の制約が複合した社会における、当時の制度環境の中では一定の機能合理性を持っていた慣行であった。
転換は「道徳的覚醒」によって起きたのではなく、複数の独立した変数の収束によって起きた。エリアス的な感受性の緩慢な内面化、フーコー的な権力作動様式の変換、ベッカリア的な啓蒙主義的批判、ハント的な読書文化による共感の拡張、そして群衆統制という実践的問題の解決としての「非公開化」。これらは「同じ方向を向いた異なる理由」として収束したとき、制度的変革を可能にした。
しかし、フーコーが鋭く指摘するように、見せる残虐の廃止は苦しみの廃絶ではなかった。それは苦しみの場所を広場から制度の奥へと移動させ、個人の心理の深部へと内面化させたに過ぎないかもしれない。そして「トゥルークライム」「死刑制度への高支持率」「戦争映像の消費」といった現代的現象は、「感受性の文明化」が完成した物語ではなく、今も進行中の矛盾に満ちたプロセスであることを示唆している。
歴史が教えるのは、私たちが「野蛮」と呼ぶものは、一定の制度的文脈のもとで「合理的」に見えた何かであり、私たちが「文明的」と呼ぶものは、将来の視点からは異なる評価を受ける可能性があるということだ。その緊張関係を手放さないことが、歴史を読むことの知的意義である。
参考文献 / References
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